セネガルよもやま話
2018年7月4日更新
アフリカと聞いてあなたが想像するのは何でしょうか。野生動物の暮らす大平原?じりじりと照りつける太陽?それとも紛争や飢餓や難民のことでしょうか。しかしアフリカがどこでもそうというわけでは決してないみたいです。なにしろこの大陸は大きいから、色々な面を持っています。
「10年ひと昔」という言葉でいうとふた昔ばかり前、私はサハラ砂漠の辺縁のイスラム教徒の国で暮らしていました。やがて帰国してTVや新聞等でアフリカのニュースを見るとき、漠然とした距離感を覚えました。この遠い日本まで届くニュースはよほどの重大な事件や、われわれにとって珍しい話題ばかりなのは当然です。しかしそれらの話題性のあるニュースの何十倍も何百倍もごくありふれた日常があったというのが暮らしてみての実感でした。
違うところこそニュースになりますが、私はニュースにもならない、人々のありふれた暮らしをお話したい。我々と彼ら、違うところは沢山ありましたが同じところはそれよりはるかに多かった。
携帯電話が普及し、インターネットが身近になり、YouTubeやGoogleEarthなどの便利さは言うまでもなく、世界が小さくなっているとはよく言われます。しかしなぜか距離感は以前とあまり変わらないような気がします。
同時にふた昔の歳月の間にアルカイダやISが台頭し、これを書いている1週間前にジャーナリストの後藤健二さんがあのような形で命を落としました。日本という国にとってイスラム教の人たちは遠くに暮らしてはいるけれど、急速に無関係ではない存在になりつつあります。
私の好きな言葉に「群盲象を評す」という言葉があります。象の鼻だけを触った者、耳だけを触った者、脚だけを触った者、しっぽだけを触った者、それら個々の事実をつなぎ合わせたものが真実だという意味だと私は解釈しています。それと同じように私の個人的な体験が「アフリカ」「イスラム教」といった巨大な象の姿をとらえるための小さなカケラになってくれれば無上のよろこびです。